アピール上手が得をする時代なのか
真面目にコツコツ努力する人よりも、自分の頑張りを上手にアピールできる人のほうが評価される——そんな理不尽さを感じている方は、少なくないかもしれません。
ですが、この「報われない」という感情の正体を突き詰めていくと、少し違った景色が見えてきます。
「報われない」の裏にあるもの
毎日毎日、当たり前のように努力を続ける。それ自体は、人間として自然なことです。問題はそこではなく、その努力に対して「ありがとう」の一言や「よく頑張っているね」という承認が得られないことへの不満なのかもしれません。
つまり「報われない」と感じる背景には、多くの場合「見返りが欲しい」という気持ちが隠れています。自分のための努力であれば、本来そこまで見返りは求めないはずです。それでも求めてしまうのは、その努力がいつしか、誰かに認めてもらうため、褒めてもらうための行動になっているからではないでしょうか。
もちろん、努力する側だけに原因があるわけではありません。組織のリーダーや経営者には、表舞台に立たない人たちの働きをきちんと把握し、感謝を伝える責任があります。プロジェクトの成果がリーダー個人の手柄のように見えてしまうケースでも、本来はその裏で資料集めや準備を支えたメンバーへの目配りを、リーダーが忘れてはならないでしょう。
そう考えると、「報われない」と感じてしまう背景には、正しく評価してくれる上司や環境に恵まれなかった、という側面も確かにあります。ただ、それは自分のせいではないと同時に、「アピール上手だけが得をする」という思い込みも、少しひねくれた見方なのかもしれません。きちんとした経営者や上司であれば、表面的なアピールの巧拙ではなく、日々の積み重ねをちゃんと見ているものです。
子育てに見る、見返りを求めない努力
この話をわかりやすく体現しているのが、子育てです。24時間365日、対価もなく、数字にも表れない中で、多くの親が子どもと向き合っています。感謝されたら嬉しいものですが、感謝されるために子育てをしているわけではありません。それは、いつか子どもが立派に育つという、ある意味では自分自身のための行いでもあるからです。
日々の努力を「自分という土台を形成するためのもの」と捉えられれば、たとえ誰にも評価されなくても、それほど大きな不満は生まれにくいはずです。反対に、常に周囲からの評価や承認を求めて行動していると、それが得られなかったときに「報われない」という感情が強く出てきてしまいます。
どこにフォーカスして頑張っているのか。結果として自分のためになると信じて努力しているのか、それとも誰かに評価されたい、気に入られたいという気持ちで動いているのか。その違いが、「報われない」という感情の生まれやすさを大きく左右するといえるでしょう。
陰徳を積むという考え方
「陰徳を積む」という言葉があります。人に見られていないところで、当たり前のように善いことをする、という意味です。
いかにも「ゴミを拾っています」というアピールをしながら拾う人と、単純に「ここにゴミが落ちているのは良くない」と思って拾う人とでは、行動そのものは同じでも、その先の結果は変わってきます。前者は見返りを求めた行動であり、後者は当たり前の行いといえるでしょう。周囲は、普段の何気ない行動と、意識された瞬間だけの行動との違いに、案外気づいているものです。
何のためにその努力をしているのか。その一点が、長い目で見たときに大きな差を生みます。
おわりに
「報われない」と感じること自体は、決して悪いことではありません。長年真剣に取り組んできた人ほど、そうした感情を抱く瞬間は必ずあるものです。大切なのは、その感情に飲み込まれてしまわないことではないでしょうか。
見返りを求めず、当たり前のように積み重ねてきた努力は、たとえすぐには評価されなくても、いつか必ず誰かの目に留まります。焦らず、腐らず、日々の努力を自分自身のための土台として積み上げていくこと。それこそが、「報われない」という感情から自由になる、一番の近道なのかもしれません。