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細木数子
六星占術の創始者、細木数子の著作、メディア出演、発言記録をもとに、その活動と思想を整理したデジタルアーカイブです。
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細木数子
六星占術の創始者、細木数子の著作、メディア出演、発言記録をもとに、その活動と思想を整理したデジタルアーカイブです。
四月四日、東京・渋谷の円山町百軒店、いわゆる花柳界付近に、八人兄妹の四女として生まれる。
数子の母ミツは千葉県で江戸時代から代々続く豪農出身で、東京神田の書店に奉公に出ている時期に、当時民政党員外団壮士だった数子の父・之伴に見初められる。之伴にはシゲという妻がおり、ミツは戸籍上は養女として迎えられた。
シゲは花柳界上がりでいつも丸髷をきちんと結って背筋を伸ばして座り、粋な風情を漂わせている女性だった。母・ミツは艶やかな髪と肌を持ち、割烹着をきちんとつけかいがいしく動き回る真面目一本やりの働き者だった。
この頃街には「青線」と呼ばれる非公認の売春地帯が拡大。「娘茶屋」は青線化した周囲の店にお客をとられ経営が苦しくなる。
ある深夜に父の仏壇にすすり泣く母の姿を見て、中学1年だった数子は母の反対を押し切り店に立つようになる。13歳でまだ身長の低かった数子はカウンター内のビールの木箱に乗って客の相手をしていた。色が白く博多人形のようだった数子は客の評判を集め看板娘となる。
店の売り上げを上げるために街に立って客引きをするが、幼さゆえの葛藤から、衝動的に猫いらずを飲み病院へ運ばれたこともあった。
「“食べるためには仕方がない”ー誰もがけっしていいとは思っていないけれど、それをしなければ生きてはいけない時代でもありました」(著書:「女の履歴書」より)
数子は「ミス渋谷」に選ばれ、「娘茶屋」はミス渋谷の出ている店ということで盛況になり、数子はチップを貯めて独立を夢見はじめる。この頃はアメリカ将校たちとの交流も盛んになり、英語やマナー、ゴルフやウイスキーなどの知識も身につけていった。
再び銀座に戻り「バンビーノ」を売った資金で銀座8丁目に「バーだりあ」をオープン。
翌年、弟の経営する30坪の大型店「シンザン」を買い取り「クラブだりあ」をオープン。銀座で3軒の店を持ちホステスも100人以上使う堂々たる銀座のママとして君臨する。
借金返済のめどをつけ、赤坂に約100坪のディスコ「マンハッタン」をオープン。当時としては画期的な「生バンドの演奏で踊れるディスコ形式のクラブ」は若者中心に人気になる。友人だった美空ひばりさんも訪れた。
知人の頼みで歌手・島倉千代子さんの記者会見に同席し話題になる。
当時、島倉さんは知人の保証人になったことで10億円を超える借金を背負っており、後見人として問題の解決に動いた。島倉さんの借金整理のために自分の店や私財を投げ打ち、芸能プロダクションを設立し、島倉さんのマネージャー役やプロモート、舞台の演出や宣伝活動まで手がけ、二人三脚で借金返済に奔走し、2年ですべて清算する。
数子の妹の長女(姪)のかおりが誕生。実子がいなかった数子は実の子のようにかわいがった。かおりが生まれた翌年に年子で妹が生まれたこともあり、3歳までかおりは叔母である数子と暮らすことが多かった。
幼稚園の送迎にスポーツカーで訪れたり、中学生でお見合いをさせたり、いつもかおりを気にしていた。
後に養女として迎えられたかおりは六星占術の継承者となる。
日本を離れヨーロッパで西洋の異文化に身を置くことで東洋哲学の神髄を理解する。自分の人生に次々と起こる災難(借金、裏切り)を振り返り、それが個人の努力不足ではなく、「逆らえない大きな運勢の波(大殺界など)」によるものだと解釈。
自分と同じように苦しむ人々に示し、導くため、六星占術を広める執筆を決意する。
中国古来の万象学や算命学、易学などの資料をひもとき、誰もが応用しやすいよう独自に整理し「六星占術」を体系化してゆく。
京都に新居を構える。
熊本での講演会を皮切りに、累計1200回の講演会・勉強会を全国各地で開催。延べ50万人を超える方々が参加した。
命ある限り、六星占術の教えを伝えたいと、30年にわたり継続して行っていた。
京都に別邸を構える。京都一流の宮大工の手によって約2年の歳月をかけて建てられた。伝統技術を持った職人の仕事を後世に伝える場になるようにとの想いから、宮大工、庭師など日本の伝統職人の仕事で完成した。
1982年に発行された「六星占術による運命の読み方」以来、世界で最も多く売れた占い本の著者として、細木数子がギネスブックに掲載された。
その後も記録を更新し続け、現在は累計1億冊を突破して世界記録を保持し続けている。
携帯電話のコンテンツ「細木数子六星占術」の提供開始。同年11月には東洋占いジャンルで一位を獲得。後にスマートフォン版へ移行し、のべ1,200万人以上が利用。現在は細木かおりが継承し、現代人の悩みや対人関係、家族・親子間の悩みにも答える占いを展開している。
フジテレビ/2004–2008
共演:ネプチューン、徳光和夫/
冠番組。「幸せのレシピ」など料理を通じた教えや、家庭の在り方を説く温かい一面も見せた番組。
TBS/2004–2008
複数の冠番組を抱える多忙さから、本来の占術家としての活動に時間を割きたいという意向から、テレビの仕事から退くことを発表。
京都の動物愛護施設(ドッグランを含む施設)への寄付などの支援を開始。きっかけは自身の愛犬との出会いにより、当時の京都の犬の保護施設が非常に劣悪な環境であることを知り、改善を求めて行動を起こした。
1990年代、日本と韓国の歴史的・文化的な繋がりに深く着目し、民間の立場から両国の相互理解を深める活動を行っていたことが、日本と韓国の文化交流や学術発展への多大な貢献として認められた。
テレビからの引退後も、公式サイト内の動画番組には2018年まで出演。カンニング竹山さんとお料理をしたり、有名人を占ったり、TVでは語れなかった自身の思いを公開した。
これに先立ち、2016年には細木数子と養子縁組を結び、戸籍上も実の親子となっていた。